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里見浩太朗の奥さんはは2人!風間信子との馴れ初めや子供を紹介

国民的時代劇スター、里見浩太朗さんの奥さんについて、詳しく知りたい方が多いようです。

現在の奥様の名前や顔画像はもちろん、実は離婚歴があり最初の奥さんがいたことまで、ご存知でしたか。

この記事では、里見浩太朗さんの現在の奥様との馴れ初めから、最初の奥様との離婚理由までを徹底解説します。

さらにお子さんは何人で娘さんはいるのか、かわいいお孫さんの現在の様子、そしてご自身の由緒ある家系図に至るまで、里見さんのプライベートな一面を深く掘り下げていきます。

目次

里見浩太朗の現在の奥さんはどんな人?

国民的俳優である里見浩太朗さんを公私にわたって長年支え続けている現在の奥様は、一体どのような方なのでしょうか。奥様の名前や顔画像、そしてお二人の運命的な馴れ初めから、気になる子供やお孫さんの存在、さらには里見さん自身の由緒ある家系図に至るまで、そのプライベートな一面を詳しくご紹介します。

里見浩太朗の現在の奥さんの名前と顔画像

里見浩太朗さんの現在の奥様は、風間信子(かざま のぶこ)さんという一般の方です。

里見さんを長年にわたって支え続けている信子さんとは一体どのような方なのでしょうか。

奥様のプロフィールと経歴

信子さんは、里見さんより13歳年下で、結婚前は日本航空(JAL)の客室乗務員(CA)として活躍されていました。その知性と美貌で、当時も評判の存在だったと言われています。

一般の方であるため、メディアへの露出は決して多くありません。しかし、過去に夫婦でテレビ番組に出演された際や、金屏風の前で撮影された結婚会見時の写真などで、そのお顔を拝見することができます。

公開された写真からは、目鼻立ちがはっきりとした、非常に上品で知的な雰囲気の美人であることがうかがえます。客室乗務員という華やかな経歴にも納得のいく、素敵な女性です。

料理上手で家庭的な一面も

信子さんは非常に料理上手であることでも知られています。里見浩太朗さんがテレビ番組に出演した際には、奥様の手料理を絶賛し、その健康的な食生活が自身の活力の源であると語ることがよくあります。

長年、第一線で活躍し続ける里見さんの健康管理を、信子さんが食事の面から徹底的にサポートしてきたことがわかります。まさに公私にわたる最高のパートナーと言えるでしょう。

里見浩太朗と現在の奥さんの馴れ初め

里見浩太朗さんと奥様・信子さんの出会いは、まるでドラマのワンシーンのような運命的なものでした。

お二人の馴れ初めから結婚に至るまでのエピソードをご紹介します。

運命の出会いは飛行機の中

二人が出会ったのは、里見さんが国民的時代劇『水戸黄門』の撮影のため、東京から京都へ向かう飛行機の機内でした。当時、信子さんはその便に乗務する客室乗務員でした。

里見さんは、機内で働く信子さんの美しい立ち居振る舞いや知的な雰囲気に一瞬で心を奪われてしまったそうです。まさに一目惚れでした。

里見浩太朗からの猛アプローチ

一目惚れした里見さんは、すぐに行動を起こします。飛行機を降りる間際に、自身の連絡先を書いた手紙を信子さんに渡したのです。

大スターからの突然のアプローチに信子さんは驚いたそうですが、後日、彼女の方から里見さんに連絡がありました。これがきっかけとなり、二人の交際がスタートします。

そして、順調に愛を育んだお二人は結婚に至り、2023年には結婚53周年を迎えるなど、芸能界きってのおしどり夫婦として知られています。多忙な芸能生活を送る里見さんを、信子さんは妻として、母として、長年にわたり献身的に支え続けてきたのです。

里見浩太朗の子供は何人?娘はいる?

里見浩太朗さんのお子さんは、息子さんが一人だけで、娘さんはいません。

長年連れ添う奥様・信子さんとの間に生まれた待望のお子さんで、現在は俳優として活躍されています。

子供は俳優として活躍する息子・佐野圭亮さん

里見さんの一人息子のお名前は、佐野圭亮(さの けいすけ)さんです。里見さんの本名が「佐野邦俊」であるため、息子さんも本名で活動されています。

圭亮さんは1967年10月15日生まれで、父である里見さんと同じ俳優の道を歩んでいます。桐朋学園短期大学演劇科を卒業後、名門である俳優座の研究生となり、演技の基礎を徹底的に学びました。

デビューは1990年の新春時代劇スペシャル「樅の木は残った」で、いきなり父・里見浩太朗さんとの親子共演を果たし、大きな注目を集めました。翌1991年には、映画「戦争と青春」での演技が高く評価され、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど、若くしてその才能を開花させています。

その後も、父が出演していた国民的時代劇「水戸黄門」にゲスト出演するなど、数多くのテレビドラマや舞台で活躍。偉大な父の背中を追いかけ、着実にキャリアを積んでいる実力派俳優です。

娘がいるという噂の真相は?

一部で里見さんに娘さんがいるのではないか、という情報が見られることがありますが、これは事実ではありません。

里見さんのご家族について公表されている情報の中で、娘さんの存在が確認されたことは一度もなく、お子さんは佐野圭亮さん一人だけです。

なぜこのような噂が出たのか定かではありませんが、圭亮さんの奥様(里見さんのお嫁さん)や、テレビ番組などで共演した若い女優さんなどを、娘さんだと勘違いした人がいたのかもしれません。いずれにせよ、里見浩太朗さんに娘さんはいない、というのが正確な情報です。

里見浩太朗の孫は現在何人いる?

里見浩太朗さんには、現在2人のお孫さんがいると言われています。

一人息子である佐野圭亮さんと、その奥様との間に誕生したお子さんたちです。これにより、里見さんは「おじいちゃん」としての優しい一面も持っています。

お孫さんは2人!性別や名前は非公開

里見さんには2人のお孫さんがいるとされていますが、その性別や年齢、お名前といった詳しいプロフィールは一切公表されていません。

これは、お孫さんたちが芸能活動をしていない一般人であるため、プライバシーを守るための当然の配慮と言えるでしょう。

メディアの前に姿を現すこともほとんどなく、里見さん自身も、ご家族の話をする際はプライベートに深く踏み込みすぎないよう配慮されているようです。

おじいちゃんとしての里見浩太朗さんのエピソード

お孫さんの詳細な情報は非公開ですが、里見さんがテレビ番組などで、おじいちゃんとしての一面をのぞかせることがあります。

お孫さんからは「黄門ちゃま」と呼ばれて親しまれている、といった微笑ましいエピソードが語られたこともあり、国民的スターである里見さんが、家庭では孫を深く愛する一人の優しい祖父であることがうかがえます。

時代劇で見せる厳格で威厳のある姿とはまた違う、お孫さんの前ではデレデレになってしまうであろう里見さんの姿を想像すると、非常に親近感が湧きます。仕事と家庭、その両方で充実した日々を送られていることが伝わってくるエピソードです。

里見浩太朗の由緒ある家系図

里見浩太朗さん(本名:佐野邦俊)は、その華やかな芸名からは想像しにくいかもしれませんが、実は家系図が残るほどの非常に由緒正しい家柄の出身です。

そのルーツは戦国時代にまでさかのぼり、武士の血を受け継いでいます。

ルーツは武田家に仕えた武将・佐野一族

里見さんのご実家である佐野家は、山梨県南巨摩郡南部町井出に拠点を置いていた「佐野一族」です。

その歴史は古く、始祖とされる**佐野出羽守光次(さのでわのかみみつつぐ)**は、甲斐の虎として名高い武田信玄の父、武田信虎に仕えた歴とした武将でした。

その後、戦国時代には駿河の今川氏に属した穴山氏の家臣として活躍するなど、武士として名を馳せた家系です。江戸時代に入り武士の世が終わると、井出村の名主を代々務め、地域の発展に貢献する存在となりました。

諏訪大社の神紋を受け継ぐ家柄

佐野家の格式の高さを示すものとして、その家紋が挙げられます。

佐野家の家紋は、長野県にある諏訪大社の神紋としても知られる「梶の葉」です。これは、佐野家が信濃国(現在の長野県)の名門一族である諏訪氏の流れを汲んでいることを示唆しています。

戦国武将の末裔であるだけでなく、さらに古い歴史を持つ名門の血筋である可能性もあり、その家系の奥深さがうかがえます。

父は国のために戦った憲兵曹長

時代は下り、里見さんの父親である佐野亀一さんは、憲兵曹長として国に仕えた軍人でした。

しかし、里見さんが生後わずか8か月の時、亀一さんは盧溝橋事件をきっかけに中国大陸へ出征し、平型関の戦いで若くして戦死されました。

そのため、里見さんは父親の顔をほとんど知らないまま、お母様とお兄様の3人家族で育ちました。由緒ある家系に生まれながらも、幼少期は決して楽ではなかったようですが、その経験が後の人間・里見浩太朗を形成する上で大きな影響を与えたのかもしれません。

里見浩太朗と最初の奥さんの離婚理由

現在はおしどり夫婦として知られる里見浩太朗さんですが、実は一度離婚を経験されています。謎に包まれた最初の奥さんが誰なのか、そして結婚からわずか3年で破局してしまった離婚理由とは何だったのでしょうか。また、最初の奥さんとの間に子供がいたのかについても、詳しく解説していきます。

里見浩太朗の最初の奥さんは誰?

里見浩太朗さんは、現在の奥様である信子さんと結婚される前に、一度結婚と離婚を経験されています。

最初の奥様は、渡辺美恵子(わたなべ みえこ)さんという一般の女性です。

元「ミス横浜」の渡辺美恵子さん

渡辺美恵子さんは、1961年度の「ミス横浜」に選出された経歴を持つ、大変な美貌の持ち主でした。

里見さんと美恵子さんが結婚されたのは1963年のことです。当時、里見さんは若手の時代劇スターとして人気が急上昇している最中でした。人気俳優とミスコン女王という、まさに絵に描いたような美男美女カップルの誕生は、当時大きな話題となりました。

結婚生活と子供の有無

世間の注目を浴びてスタートした結婚生活でしたが、残念ながら長くは続きませんでした。お二人は約3年後の1966年に離婚しています。

この短い結婚生活の間に、里見さんと美恵子さんの間にお子さんが生まれることはありませんでした。

離婚後の美恵子さんは?

離婚後、美恵子さんは芸能界とは距離を置き、一般の方としての生活に戻られました。

そのため、その後の彼女の人生については、現在ほとんど情報がありません。プライバシーを尊重し、静かに暮らされているものと思われます。

里見浩太朗と最初の奥さんの離婚理由とは?

里見浩太朗さんと最初の奥様・渡辺美恵子さんの結婚生活は、約3年という短い期間で終わりを告げました。

美男美女カップルの突然の破局に、当時は様々な憶測が飛び交ったようですが、その離婚理由は何だったのでしょうか。

原因は里見浩太朗の女性関係という噂

離婚理由について、里見さん本人や美恵子さんから公式に語られたことはありません。しかし、当時から現在に至るまで、最も有力な原因として囁かれているのが、里見浩太朗さんの女性関係です。

結婚当時、里見さんは20代後半。時代劇スターとして人気はうなぎのぼりで、その端正な顔立ちとスター性から、絶大な人気を誇っていました。当然、女性からの注目度も非常に高く、大変モテたと言われています。

そうした状況の中、若さも相まって女性関係で過ちを犯してしまったのではないか、という内容が当時の週-刊誌などで報じられたようです。人気スターであるがゆえのゴシップであった可能性も否定できませんが、これが離婚の引き金になったという見方が根強く残っています。

多忙によるすれ違いも一因か

女性関係の噂に加えて、人気俳優ならではの多忙な生活が、夫婦の間にすれ違いを生んだ可能性も考えられます。

当時の里見さんは、映画やテレビドラマの撮影で、京都の撮影所と東京を行き来する多忙な日々を送っていました。新婚生活をゆっくりと楽しむ時間も十分に取れず、夫婦が顔を合わせる機会が少なかったであろうことは想像に難くありません。

こうした物理的な距離や時間のすれ違いが、次第に心の距離をも生んでしまったという可能性も、離婚の一因として考えられるのではないでしょうか。

里見浩太朗と最初の奥さんの間に子供はいた?

里見浩太朗さんと、最初の奥様である渡辺美恵子さんとの間にお子さんはいませんでした。

お二人が夫婦として共に過ごした期間は約3年間でしたが、その間にお子さんを授かることはなかったようです。

里見さんにお子さんが誕生するのは、美恵子さんと離婚した後、現在の奥様である風間信子さんと再婚してからのことになります。現在の奥様との間には、俳優として活躍されている一人息子の佐野圭亮さんがいらっしゃいます。

里見浩太朗の奥さんについてのまとめ

  • 里見浩太朗さんの現在の奥様の名前は、元JAL客室乗務員の風間信子さんです。
  • 現在の奥様は里見さんより13歳年下で、非常に料理上手として知られています。
  • 二人の出会いは飛行機の中で、里見さんが信子さんに一目惚れしたのがきっかけでした。
  • 里見さんが飛行機を降りる際に手紙を渡したことから交際がスタートしました。
  • 現在の奥様との結婚生活は50年を超え、芸能界きってのおしどり夫婦です。
  • 里見さんには離婚歴があり、現在の奥様は再婚相手にあたります。
  • 最初の奥様は、元「ミス横浜」に選ばれた経歴を持つ渡辺美恵子さんでした。
  • 最初の奥様との結婚生活は約3年間で、1966年に離婚しています。
  • 離婚理由は公式発表されていませんが、里見さんの女性関係という説が有力です。
  • 最初の奥様との間にお子さんはいませんでした。
  • 現在の奥様との間には、俳優として活躍する息子の佐野圭亮さんが一人います。
  • 娘さんがいるという噂は事実ではなく、お子さんは息子さん一人だけです。
  • 現在、お孫さんは2人いると言われていますが、詳細は非公開です。
  • 里見さんの本名は佐野邦俊で、家系は戦国武将の末裔という由緒ある家柄です。
  • 父親は憲兵曹長でしたが、里見さんが生後8か月の時に戦死しています。
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